9年たちました

 

~東日本大震災支援活動をふりかえって~

 

(3回め)

 

     社会福祉士・要約筆記者

 

 チームはちまき 代表 菅原千佳

 

 

 

2011年3月11日に起こった東日本大震災。

 

“チームはちまき”というたった3人のグループで宮城県南三陸町、気仙沼市、石巻市をたずね傾聴活動を行って来た。回数をきちんと数えたことはないが、200回程になっているのではないか。親せきのようなつきあいになった人も多い一方、もう会えない人もいる。

 

震災の年の8月22日。南三陸町平成の森避難所が解散し、多くの住民が同じ敷地にある、町で一番大きい仮設住宅に引っ越した。

 

一軒ずつまわり、傾聴活動を始めたその日 一人暮らしの60歳代の女性、Aさんに会った。「欲しいものはないですか」と玄関先で問うと、小さく首を横に振るだけでことばはなく、涙ぐんでしまった。立ち尽くすAさんに「また寄ります」と告げ、行くたびに顔を出した。何度めかの訪問でようやく遠慮がちに「アイロンがほしい」と伝えてくれたとき、たまたま車に1台残っていた新品のアイロンを差し出した。Aさんは、一瞬目を見張り、小さな声で「ありがとうございます」と何度も頭を下げた。そんなAさんにこちらも胸がいっぱいになった。

 

そんな出会いから少しずつ打ち解けたAさんが、仮設住宅に招き入れてくれた。津波で親せきや友だち、近所の人など20人も亡くなったこと、自分が震災前住んでいたのは他の地域で、ここは知らない人ばかり、打ち解けられず過ごしたと教えてくれた。いずれ、長年住み慣れた地域に戻り、親せきの人たちの近くに住むのだと、期待に胸を膨らませていた。

 

ときが経ち、ついに来春は引っ越しするという秋、仮設のまわりの紅葉した木々を見て、こんなにきれいな風景は五年ここにいて初めてだと、目を輝かせていた。

 

想いが叶い、ようやく震災前に住んでいた土地に戻ったAさんを訪ねた。隣町に娘さんがいることは知っていたが、東京に息子がいて、立派な職業についていることを初めて教えてくれた。お嫁さんも息子と同じ職業で・・・と話が止まらなかった。こんなに楽しそうなAさんと語り合える日が来るなど想像もしなかっただけに感慨深く、心からよかったと思った。

 

 仮設住宅にいた頃から体調が悪く、病院に通っていると聞いていた。新居のそばに大きな病院が建ったものの、そこではなく、隣町の病院を受診するのだという。具合がよくないのに通うのは大変なのではと心配した。その後入院するとAさんが口にしたのは、受診していた町とは別方向の大きな病院だった。そして、それがAさんとの別れになるとは夢にも思わなかった。

 

 訪問するたびに留守が続いていたが、あるとき近所の人からAさんが亡くなったことを知らされた。会えない日が続き、嫌な予感がしていたときの訃報だった。

 

 寂しく切なかった。やっと恋いこがれた土地に、親せきの住む町に帰ったのに・・・。

 

こんな悲しい思いをするなら、なぜ病院に見舞いに行かなかったと悔やんだ。思いを行動に移すのが、一人を大切にするのが、われわれ“チームはちまき”の活動ではなかったのか。

 

Aさんからもらった「訪ねてくれてありがとう」と記された数通の手紙を、今も大切にしまっている。

 

 Kさんの話をしよう。

 

いつも笑顔で迎えてくれるKさんは60歳代の女性だが、その陰に二男を亡くした悲しみを秘めていた。そしてそのことを詳しく知ったのは、震災から9年経った最近のことである。

 

 二男さんは震災の半年前に不慮の事故で亡くなった。突然絶たれた息子の人生。この世にこんな悲しみがあるのだろうか。しかしKさんはそのことに触れず、次のことを教えてくれた。息子さんの皮膚や眼球、肝臓、腎臓、心臓は、7人の人に移植された。そのなかには30歳代の女性がいて、これまで何度か臓器提供を受けて失敗続きだったのに二男さんとはうまくいったこと、その女性は移植後結婚し、何と子宝にも恵まれたこと、心臓は、スポーツの指導者をしていた人に移植され、その人は以前のようにスポーツを楽しんでいることなどを明かしてくれた。

 

臓器提供をした側と提供された人は、互いにどこの誰かということを秘密にするルールになっており、これらの情報は、移植のコーディネーターさんから聞いたこと、年に一度、提供者の家族会が開かれるが、遠方なので、手紙を送り交流しているのだとKさんは言う。

 

 そんな二男さんの骨つぼと位牌、遺影までもが津波で流されてしまった。しかし、泥やがれきの中から次々と見つかったのだそうだ。夫が、近所の人たちが、探し出して来たのだと。そんな奇跡のようなことがあるのかと一瞬信じがたかった。しかし「帰って来たかったんだろうね」とKさんはしみじみと語った。そしてこの話をKさんは、思いを同じくする人たちの前で発表したそうだ。

 

 『命』は新しい『いのち』につながり、今も生きている。そしてまわりの人々をこのうえなく幸せにしてくれる。たとえ新しい命を引き継いだ人と会うことはなくても「どこかに生きている」という実感が、Kさんと家族のこれからの人生を温かくしてくれる。二男さんがずっと見守っている、そんな思いがKさんを飛躍的に元気に、笑顔にしていたのだ。

 

東日本大震災での体験や思いを聴いてきたなかで、嬉し涙が止まらない初めての経験だった。改めて、多くの人に伝える使命があると思った。

 

昨年も全国で台風や豪雨災害が起きた。着のみ着のまま避難し、そのまま転居せざるを得なかった人もいる。長年暮らした自宅から何一つ持ち出すことないまま。

 

それでも大切な『いのち』だけは助かった。その重さを、前を向いて生きる人たちのことをこれからも伝えていこう。これが、“チームはちまき”のできるたった一つのことと信じて。